万葉集と言えば奈良!。確かに多いけど・・
でも和歌山を歌ったものもかなりの数があります。
そんな万葉の地和歌浦から雑賀崎を歩いてきました。
「若の浦に 潮満ち来れば潟をなみ 芦辺をさして鶴(たづ)泣き渡る」(山部赤人)
今年の潮干狩りは貝の育成が不調のようで、中止しますの漁協の看板。でも家族連れがお弁当を持って潮干狩り。
「玉津島 磯の浦廻(うらみ)の砂(まなご)にも にほひて行かな妹も触れけむ」(柿ノ本人麻呂)
紀州徳川家十代藩主 徳川治宝(はるとみ)の頃、東照宮の御旅所に向かうために築造されました。
江戸時代では九州以外にはとても珍しいアーチ型石橋。
「名草山 言にしありけり吾あが恋ふる 千重の一重も慰めなくに」(不詳)
西国三十三カ所二番札所「紀三井寺」が麓に建立されています。早咲き桜で有名。
川の流れと打ち寄せる波が造った自然の砂州に松林が長く続く姿は、丹後の天橋立と同様のもの。
今ではすっかり人工的な姿に変わり果てたものの、公園整備で庭園などが造られ、違った美しさを楽しませてくれます。
「潮満たば いかにせむかと海神(わたつみ)の 神が手渡る海人娘子(あまおとめ)ども」
片男波から和歌浦港へ歩みを進めると、昔は伊豆や宮崎と並び新婚旅行のメッカと言われたほどの観光地。かつての名残が目に飛び込んできます。ちょっとゴーストタウンのような。。。。
老舗旅館が次々と姿を消していく、とても寂しいことです。
「若の浦に 白波たちて沖つ風 寒き夕(ゆうべ)は大和し思ほゆ」(藤原卿)
それでも海は昔の美しさを残しています。
海辺を楽しむ家族連れが多く、この暑さに雀も水たまりで行水です。
田ノ浦漁港に入ると浪早ビーチではすっかり夏模様。
「網引する 海人とや見らむ飽浦(あくのうら)の 清き荒磯を見に来し吾を」(柿ノ本人麻呂)
田ノ浦、雑賀崎は急斜面に密集して家が建っていて、道は細く路地と言うに等しい。
家並みに進入すれば、まるで迷路に迷い込んだごとく。「延ばせば手が届く隣家」の地域はいったん火災が起こると止めどなく火の手が広がるので、人々の防火意識が強く、過去に火事を出したことは極めて希です。
ようやく港から岬の上に登り切ると、鷹巣灯台へ続く道。そこから脇道を下ると「番所庭園」が見えてきます。
「紀の国の雑賀の浦に出で見れば海人の燈火波の間ゆ見ゆ」(藤原卿)
草花や松・芝生が植えられた庭は、江戸期に黒船の進入を見張る番所であったところ。
見張り台のあった岬の先端からは紀伊水道が一望。
陽光うららかな輝きに疲れた体を癒されながら鷹巣灯台へ向かいます。
「み熊野の 浦の浜木綿百重なす 心は思えど道に逢わぬかも」(柿ノ本人麻呂)
いよいよ散歩も終盤へ。再び雑賀崎の集落を港まで下り、トンネルへ向かいます。
漁港の町に露天の魚屋さん。
この日は臨時休業のようでした。
トンネルを抜けると臨港エリア。廃線となった南海電車の線路を見ながら紀州徳川家ゆかりの「養水園」へ。他では珍しい海水を引き込んだ池泉回遊の庭園。池には鯉の代わりに鰻やボラが泳いでいます。近年徳川家の別荘「湊御殿」がここに復元移築されました。養水園はとても綺麗な庭園、いずれ機会があればご紹介。
約17キロの散歩、終了です。
交通は
片男波→和歌山バス玉津島神社前・不老橋下車
遊歩道→和歌山バス新和歌浦下車
浪早ビーチ→和歌山バス浪早崎下車
番所庭園→和歌山バス雑賀崎下車
養水園→和歌山バス養水園前下車
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